御嶽山
2014年の噴火から既に5年経ったが未だに入山規制中の御嶽山。しかし昨年から時期限定で入山可能となり山頂まで行く事が出来るようになった。昨年は登山を見合わせていたが今年は機会を見て登ろうと決意。夏シーズンの好機を狙って出かけてみた。
生憎雲が多く展望の利かない登山となってしまったが、そんぶん未だその爪痕を残す登山道を黙々と登る事が出来たが、殺伐とした風景の中を登りながら以前報道されていた生還した女性の体験談が頭から離れなかった。
早朝出発して中央道木曽福島ICから木曽の鹿ノ背ロープウエイへと走った。
到着すると思ったより沢山の車でほぼ満車に近かった。ここで登山届を提出し、始発のロープウエイで飯森高原駅へと向かう。
晴れていはいたが雲が多く周辺の山は霞んでいる。
飯森高原駅に着くと木曽御嶽山の大きな地図が立っていて暫く眺めていた。
山頂の標高は3000mを越えるが、沢山の登山ルートがあり比較的短時間で登山が出来るので多くの登山客で賑わってきた山だが、期間限定で入山規制解除されたとはいえ未だ通行禁止個所もあるくらいなので、今回はなるべく短時間で登る事が出来るルートを選び、普段から標準装備として持っているツエルト等に加えてヘルメットも持参して臨んだ。
ここから登山開始。
すぐにミヤマカラマツの花を見つけて嬉しくなった。
暫く急登すると八合目に到着した。ここには沢山の地蔵が立ち並んでいた。
山頂方向はすっかり雲の中だった。
石の間から出ていたイワギキョウを見つけた。
ここは修験の山、そして信仰の山。沢山の銅像が立ち並ぶ。
ここにも仏像と釣り鐘が設置されている。
振り返ると単独行の女性が登って来ていた。何か訳ありの様子だったが話は出来なかった。
暫く登ると上部に如何にも古そうな石室山荘が見えてきた。
石組と沢山の足場の上に立つ歴史を感じさせる山小屋だ。登山道はこの小屋の中を通る様になっていた。
よくぞこの急斜面に建造したものだと感心しつつ険しい斜面を登った。
上部はゴロタ状の登山道が続く。景色も見えないので必死に登るしかない。
漸く山頂付近まで登ると新造されたと思われるシェルターが並んでいた。
頂上山荘と思われる小屋の残骸が未だに残置されていた。
そしてシェルターの横には慰霊碑が立っていた。
慰霊碑の横から剣ヶ峰山頂へと続く階段があった。
階段を登り切ると再建中の御嶽神社奥社が建てられていた。
工事現場の様な山頂に標識があった。
何もかもが未だに噴火の痕跡を残していて息苦しさを感じる程だった。
私にはこの慰霊碑に被害に合われた人たちの事を祈る事しかできない。
今日ここに登ってきた人たちは皆同じ気持ちでいたに違いない。見えていればかなり美しい周りの景色が見えないだけに余計に重苦しかった。
この急な斜面を逃げる人たちの姿を思うと自分も急いで駆け下りるのを止められなかった。
分岐を二ノ池方向に曲がると目新しい小屋が見えた。
本当は美しい景色なはずだが、ここは正に賽の河原の様な風景に見える。
小屋の向こう側を見てみたい衝動に枯れれて行ってみる事にした。
小屋は目新しかったが中には入らなかった。
二ノ池は何もないかの様に静かに雪渓を映している。
池を見ている内に向こう側を見に行く事も忘れて早く下山したいと思った。
下山途中に遠くに見えた池は、三ノ池だろう。
あっと言う間に9合目を過ぎて振り返ると沢山の登山客の姿が見えた。
山頂付近を目にした後なので、石室山荘はよくぞ残ったものだと思って振り返る。
今日は穏やかな天候だし噴火の気配もないのに、何故か女人堂まで下ってくると少し安心した。
ナナカマドの花が更に気持ちを和らげてくれた気がした。
帰りのゴンドラに乗ると自分の足がいつも以上に疲労しているのに気が付いた。
冒頭に噴火に遭遇した女性が後に投稿した経験談の事に触れたが、山頂付近で数人の生存者がいた中で彼女だけが腕を無くしながらも生き永らえたのは一つのダウンとツエルトのお陰で氷点下になった一夜をやり過ごす事が出来た為だと言った記述が頭を離れない。
登山者として一度は現地を訪れるべきだと思い登って見たが、遠くの山から何時も見えていた美しい御嶽山だったのに今日の御嶽山はその片鱗も見せてはくれなかった。自分にとって重い経験となった今回の登山はきっと忘れる事が出来ないだろう。